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外国人とともにつくる未来――外国人支援のささえ手インタビュー

北御門 織絵さん(佐賀県国際課・多文化社会コーディネーター)

みんなが多文化共生のマインドを持てば社会はもっと良くなる

 多文化共生というとNPOや地域日本語教室といった民間の活動をイメージしやすいですが、2019年の日本語教育推進法の制定もあり、行政も力を入れ始めています。自治体の職員として多文化共生に関わる人はどんな仕事をしているのでしょうか。佐賀県庁の多文化社会コーディネーターとして県の多文化共生施策をリードしてきた北御門織絵さんに話を伺いました。アメリカ留学中の衝撃的な“事件”や、専業主婦から今の仕事に就くまでの経緯についても話してくださっています。
(ライター:金子恵妙)


プロフィール

北御門 織絵(きたみかどおりえ)さん(佐賀県・多文化社会コーディネーター)

1976年大分生まれ。佐賀県国際交流協会で外国人支援をスタート。現在は佐賀県地域交流部国際課で技能実習生受け入れ企業との協働事業や地域日本語教室との連携など、外国人受け入れの環境整備を行う。各市町村行政への啓発や関係部局、企業、地域の間の連携・調整も担う。

「そんなことしなくていいだろう」から得られる学びもある

――外国人支援に関わるようになったきっかけは?

 もともと大分の人間なのですが、結婚を機に佐賀に移りました。初めての土地で、いつも夫の後ろについていたら、「相談できる友達をつくったほうがいい」と夫に言われて。留学経験もあったので、佐賀県の国際交流協会でアルバイトを始めました。そこで仕事にはまって正規職員になり、今に繋がっている感じです。

――今は具体的にどんな仕事を。

 2015年に佐賀県庁の国際課に配属され、2017年に県で初めての多文化社会コーディネーターになりました。佐賀県の多文化社会コーディネーターの配置は、多文化共生の地域づくりを推進していくためのプログラムや地域課題を解決するための企画を立案し、それを県内の様々な人々や団体と協働しながら実行していく専門的人材として設置されました。当初多文化共生に関わる職員は私を含め2人体制でしたが、嬉しいことに少しずつ体制が強化されて、2021年度には「多文化共生担当」と担当係ができ、今は8人体制です。私の他は県職員と日本語教育コーディネーター、国際交流員、地域おこし協力隊員です。
 私のメインの仕事は、外国人を雇用している企業や、外国人を受け入れる地域の環境整備です。生活支援はもちろん基盤としてありますが、佐賀県は国際課という部門が労働局と協働し、企業に個別に分け入って困りごとを聞き、それぞれに合わせたプログラムを組んで研修を実施したり、必要に応じて伴走的な支援をしたりしています。こうした取り組みを始めている自治体はあまりなく、他の自治体さんから、ヒアリングや事例発表の依頼が来ることも増えています。前例がない分、開拓していくのには苦労も伴いますが、企業と共に関係を築きながら進めていくことの大切さを実感しています。

――行政が多文化共生の取り組みを行うことに対して、住民からの反発はあるのでしょうか。

 反対意見の方はいます。例えば日韓関係や日中関係が少し悪化すると、県が行う日韓、日中関連の交流事業について、県民の方から反対のご意見をいただくことがあります。コロナが広がった時も、まずは日本人が優先だろうというご意見もありました。

――民間だと、外国人に興味がないとか、自分たちの考えに抵抗感がある人と仕事をすることはあまりないですが、行政だと、いろいろな方の意見を尊重しなければいけないのが大変ですね。

 はい、ただ、これは私の性格もありますが、「そんなことしなくていいだろう」と外国人支援に反発してくる方に会った時って、一つの学びにもなると思っています。どうしてこの仕事をしているかを思い返す機会になるし、企業や自治会、行政など、相手の立場を理解するきっかけにもなります。だから反対がある時は、踏ん張りどころだし、むしろ燃える感じですね(笑)。


自分が何かをやることで社会が良くなっていく

――仕事が嫌で逃げたいと感じるようなことは。

 ないですね。ただ、県庁の中の話でいえば、予算が取れなかったり、事業の重要性を理解してもらうのに苦労したりすることはあります。自分の企画力、プレゼン力が足りないということかもしれませんし、実績を残すことで、理解を広げていくしかないと思っています。
また、組織が拡大するにつれ、係内・課内の合意を取るためのひと手間や時間をかける必要性も出てきました。公的な機関という立場で、多文化共生事業をどのように地域社会の仕組みとしていくかなど、チームで考えるのは大変ですが、そこにはやりがいや楽しさも感じます。上司部下関係なく、真剣に意見を言い合いますし、そのプロセスがあったからこそ、様々な取り組みが生まれてきたとも考えています。

――そのように大変な面があっても、この仕事を続けられるのはどうしてだと思いますか。

 やりがいとチームワークですね。自分が何かをやることで社会が良くなっていくし、それも県の多文化共生推進という最前線で挑戦させてもらっています。この仕事を通して仲間は庁内だけでなく、県内のいろいろな場所に増えました。私にとっては、とても贅沢な環境です。そして、自分がこうやって道を切り拓いていくことで、「こういうポジション必要だよね」というのを広めていけるのもモチベーションになっています。


留学先での被差別経験があるから「絶対違う」と言える

――留学の話がありましたが、その経験も何かしら今の仕事に影響が?

 すごく関係あると思います。高校の時に2年間アメリカに、大学の時に9か月イギリスに留学しました。その間、日本にいたら絶対経験できないような「アオハル(青春)」の時間を過ごしましたが、ホストファミリーとうまくいかなかったこともありましたし、アジア人、さらにそのなかの日本人というアイデンティティと向き合い、差別を受けることもありました。そこで多様性とか平等性について考える機会になりましたし、適応能力もついたと思います。

――差別というのは?

 アメリカに留学していた時、アジア人同士でカフェテリアにいたら、近くのテーブルにいたネイティブの男の子たちから差別的な暴言がありました。同じテーブルにいた人は「気にするな、無視するに限る」と場を収めようとしていましたが、私は私でテスト結果のことで虫の居どころが悪く、売られた喧嘩を買ってしまったわけです。それで、セキュリティの人に止められて、生徒指導室に連れて行かれました。

――そんなことが…。その後はどうなったのですか。

 その瞬間は「こんなトラブル起こしたから、日本に帰されるな」って思いましたが、生徒指導の先生がゆっくりと事情を聴いてくれました。相手の話も聴いた後、「あなたが応戦したのも悪いけど、相手の言動はこの学校にはあってはならないものだから、しかるべき対応をする」と。そして、「不愉快にさせてごめんね。あなたがちゃんと安心して学業が送れるようにするから」と寄り添ってくれたんです。
 そこには、言い方はおかしいかもしれないけど、国籍関係なく、その学校に通う一人の学生として向き合ってくれる姿勢があったと思います。日本では、技能実習生や留学生のことを「数年で帰る人だからあんまり真剣に考えなくていいのでは」と言う人もいます。私がそれを「絶対違う」と言えるのは、自分自身にそうした経験があるからです。大変なこともあったアメリカでしたが、多感な時期にさまざまな経験ができた大切な場所であり、今は心のふるさとのように感じています。


市や町にも多文化社会コーディネーター(専門職)の配置を

――ここが改善されたら、多文化共生への取り組みはもっと進むのにと感じられている点はありますか。

 私は多文化社会コーディネーターや多文化共生マネージャーのように、多文化共生に関する専門的知識を持ち、様々な関係者と連携・協働して地域課題に取り組んでいく人材の配置が今後重要になると思います。市町にそういうポジション(があれば、県では目が行き届かないところにまで目がいくし、多文化共生の取り組みはむちゃくちゃ進むのではないでしょうか。実際に市町の担当者やそこで活動している日本語教室の方は、地域の外国人の実情をとてもよく把握されていますから。

――それが進まないのは財源的な問題があるからでしょうか。

 そういう面もあるかもしれません。(ただ、行政として財源的に厳しいなら、例えば地域おこし協力隊の制度を活用するなど、工夫することはできると思いますし、その方と県とで一緒に取り組んでいけば、相乗効果を生み出すことも可能だと思っています。


「なぜ多文化共生が必要なのか」を自分の言葉で話せるように

――多文化社会コーディネーターに向いている人はどんな人ですか。

 プラス思考、それから物事を多面的に捉えることができる人が向いていると思います。この業界の人はみんなプラス思考で多面的に検討ができ、無理難題も相談すれば「う~ん」と一緒に頭を捻ってくれたり、人を繋いでくれたりしてくれます。みんなが相手を思い、ああそうだねと寄り添いながらいる。地域や社会もこうなったらいいと思うし、多文化共生のことをみんなに知ってもらえればそういう世界になっていくのではないでしょうか。みんなが多文化共生のマインドを持ったら、社会はもっと良くなるのにと思います。
「共感」ができることも大事ですね。相手に共感し、その立場を知ることで、こちらからの押し付けではなく、対話が生まれます。それが心揺れる体験になれば、多文化の種がその人の心に着地し、どこかのタイミングでその種が芽吹くのではないでしょうか。多文化共生の地域づくりには時間がかかります。地域日本語教室の設置数が増えれば、それだけで多文化共生が広がるかといえばそうじゃない。やっぱり人だと思います。

――「自分も何かしたい」と考えている人は何から始めたらいいでしょうか?

 行政や国際交流協会の事業に参加したり、地域日本語教室やNPOで活動をしたりして、地域の現状を正しく知ることから始めてみてはどうでしょうか。多文化共生社会をつくるためには、多文化共生の取り組みがどうして必要なのかを、自分の言葉で語れる人やそれを語り合える場が増えていくことが大事だと思います。


インタビューを終えて

陰をも暖かく照らすお日様。この言葉がしっくりくる北御門さんの強さの原点は、留学先で受けた理不尽な差別にあるのでしょう。価値観の異なる相手を追いやるのではなく、反発する住民も優しく包み込んで多文化共生への前向きな議論と理解を促す姿勢は、着実に新しい芽を育てています。佐賀県庁における組織拡大にも貢献し、多文化共生の重要性と必要性を地域全体に拡げていく今後の活躍がとても楽しみです。外国人をはじめとするマイノリティの包摂は、しばしばマジョリティの心に負の感情を呼び起こしてしまいますが、その大流に呑み込まれることなくプラス思考で在り続ける北御門さんの生き様に惚れ惚れしました。

株式会社ソーシャライズ代表取締役社長 中村 拓海(なかむらたくみ)
1990年東京都生まれ。一緒に学ぶ留学生が就職活動に失敗し、帰国していく様子を見て大学時代に起業。留学生の就職支援と外国人雇用のコンサルティングを行う。外国人の採用・定着や自治体の外国人受け入れに関するセミナー政府機関向けの調査・提言、大学でのシンポジウムのファシリテータ―、日本起業と留学生のマッチングに関するレポート執筆など、活動の幅は多岐にわたる。お坊さんによく間違えられるが、世界各国のお酒に目がない。
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