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外国人とともにつくる未来――外国人支援のささえ手インタビュー

沢田 貴志さん(神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所所長)

日本のやり方が常識だと思っているうちに、日本は世界からおいていかれてしまう

日本で暮らす外国人が増えていますが、彼らを受け入れる医療の体制は整っているといえるでしょうか。この問題に医療の専門家として向き合い続けているのが、神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所の所長で内科医の沢田貴志さんです。開発途上国での活動に興味を持っていた沢田さんが、日本の外国人医療に目を向けるようになったのには、どんなきっかけがあったのでしょう。“地理オタク”だった少年時代から外国人医療に関わるまでのライフストーリーを明かしていただくとともに、この仕事のやりがいや、日本の外国人医療が抱える課題についても話していただきました。
(ライター:金子恵妙)


プロフィール

沢田 貴志 さん(さわだたかし)(神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所所長)

1960年東京都出身。千葉大学医学部卒業。東京厚生年金病院で5年勤務後、1991 年より港町診療所に勤務し、多数の外国人の診療を担当。日本の外国人医療の課題とその改善策の提言を積極的に行い、NPOでの外国人の無料健康相談、自治体と連携した医療通訳制度の構築などにも関わっている。東京大学大学院など4大学で非常勤講師。特定非営利活動法人シェア=国際保健協力市民の会副代表理事。総合内科専門医にして公衆衛生士。

頭に残り続けた「自分の国のことをちゃんとやって」という言葉

――まずは、外国人医療に関わるようになるまでの話を教えていただけますか。

 高校時代は、『兼高かおる世界の旅』という紀行番組が大好きな地理オタクでした。今もアフリカの小さな国の第二、第三の都市名まで言えるので、その国出身の患者さんに驚かれたりします。多様な文化への関心が強かったので、文化人類学の道に進むか悩みましたが、まずは医師となり、そこで海外に関わろうと考えていました。

――医学部ではどんな学生生活を?

 開発途上国に興味があって、1年の時にはタイに行きました。でもある時、大学の友人から「お前の考え方は甘い」と言われたんです。「途上国に対して上から目線だ。まずは自分の住んでいる地域のことをやるべきだ」と。ショックでしたが、確かにそうだなとも思い、自分の親の出身地であるへき地の村で医師を目指すようになりました。

――ただ、そうはならなかったんですね。

 はい。6年間の医学部生活を終え、医師国家試験を受けた後にフィリピンに行ったことが大きかったです。当時、フィリピンは社会的混乱が起き、一部の農村では飢餓状態が広がっていました。活動に関わっていたNGOから誘われて、その医療状況を視察に行ったのですが、そこには非常に深刻な状況と、そんな中でも懸命に取り組む現地の人たちの姿があり、強い衝撃を受けました。でも一番印象に残ったのは、そうした活動に参加していた4歳下のフィリピン人の女子大生に言われた言葉です。「あなたたちの国にいろいろな格差があるから、それが私たちの国に余波が来ている。だから、私たちの国のことを助けるよりも自分たちの国のことをちゃんとしてほしい。あなたの国の問題はあなたたちにしか解決できないんだから」と。ガーンと来て、正直どうすればいいか分からなくなりましたが、とにかく役に立つ医師になるのが先決だと、都内の病院で修行することにしました。

――その「修行」の後に港町診療所に移られたということですね。

 都内の病院で勤務して5年目に、再びフィリピンに行く機会がありました。ピナツボ火山噴火の被災地に入り、医療現場で2か月ほど支援をしたのですが、そこから帰国し、改めて日本の社会を見ると、そこには外国人労働者急増と、適切な医療にアクセスできない外国人の問題がありました。そこで、あの時フィリピンの学生に言われた言葉がピタッとはまった感覚です。この日本で外国人医療に取り組もうと決心し、ちょうどそうした人材を探していた港町診療所に移ることになりました。


それが何に繋がるか分からなくても、学生時代はいろいろ試した方がいい

――外国人の患者さんを診るとなると最初は戸惑いもあったのではないですか。

 それはあまりありませんでした。大学時代に大学進学を目指す日本語学校の留学生たちにボランティアで受験勉強を教えていましたし、その流れで、医師になってからもずっと留学生の健康相談をしてきていたからです。

――学生時代のボランティア経験が、今のキャリアに繋がっているわけですね。

 そうです。ボランティア活動をしていなければ、今ここにいなかったと思います。だから、それが何に繋がるか分からなくても、学生時代にはいろいろ試した方がいいと思います。私の場合、学生時代の経験で将来が決まったようなところがありますね。


患者さんが元気になった時の笑顔が一番の「ご褒美」

――いつもどんな姿勢で外国人の方の診療に向かっているのですか。

 医療の場合は、励ましたからといって病気が良くなるわけでもないところがあって難しいですが、それがネガティブな状況なら、それをそのまま受け止めて、それに寄り添う姿勢を示しながら取り組んでいる感じですね。とにかく僕がついているから、一緒になんとか良くなるように頑張ろうと。

――どんな時にやりがいを感じますか。

 自分へのご褒美はそりゃもう笑顔ですよ。病気で大変なのに、ちょっとしたお菓子を持ってこようとする方もいて、そういう時には「そんなものよりも、あなたが元気になった時の笑顔が一番のご褒美だから」と話すんです。あとは、患者さんの子どもが成長して仕事に就いて頑張っているとか、そういう話が嬉しいですね。


未払い医療費補填制度と、医療通訳制度の整備を急がなければならない

――外国人患者さんが抱える悩みにはどんなものがありますか。

 日本に働きに来ている人たちは、家族や頼れる人がなく、経済的な不安を抱えていることが多いですね。病気になった時の言葉の壁も大きいです。日本語が流暢で日本語能力検定のN1とか持っている人でも、いざ病気になると言葉が出てこないっていいますね。慌ててしまうこともあるし、普段使わないような言葉が必要ですから。

――やはり医療通訳者の存在は必要ですね。

 アメリカやイギリスでは、病院側が医療通訳サービスを提供できるように公的なシステムが整備されていますが、日本はそうした仕組みになっていません。日本は健康保険制度が整っているので、医療アクセスのよさでは世界的には評価が高いですが、それは日本人にとってであって、外国人の医療アクセスについては、ぽっかりと穴が空いている状況です。

――経済的に苦しい方が多いとのお話でしたが、現実問題として医療費が払えないことはあるんですか。

 もちろんあります。私のところは、診療所なので、払えないといっても数万円とか多くても数十万円ぐらいで、その時は払えなくても、一緒に何とか財源を探しましょうという感じになりますが、大きな病院に重病の人が来た場合、そうは言っていられません。数百万円単位の損失が出る可能性があれば、やはりそれを恐れて診療しないってことが起きる。だからこそ、未払い医療費を自治体が補填する制度が必要だと考えています。

――そういった制度がある自治体はありますか。

 1993年に群馬県が始めて、東京や神奈川などいくつかの自治体にもあります。ただ、いずれも十分な予算がついているとは言えません。たとえ入管法に違反して罪に問われることがあったとしても、命は保障されなければならないものです。特に医療通訳と緊急医療の体制はしっかり整備していくべきだとも思っています。


外国人材が日本で根を張っていけるような社会に

――長年医療を通して日本の社会を見てこられて、現在の状況をどう考えていますか。

 例えば、技能実習生制度は、経済界にとっては効率的な制度に思えるかもしれませんが、私は決してそうではないと考えています。いつまでも入れ替わり立ち替わりで、その国のコミュニティを支える人材が蓄積されず、マイナスの面が大きい。1990年代にたくさん日本に入ってきたブラジルやフィリピン、タイの人たちは、自分たちで支え合うコミュニティを形成しています。でも、今増えているベトナムやミャンマー、ネパール、インドネシアの人たちは、コミュニティが十分形成されず、大変な思いをしている方が多いと思います。同国人を支援する外国人材にちゃんと仕事の場を提供されて、日本でコミュニティが根を張っていけるような体制が必要だと思います。

――どうしたら日本の社会は外国人にもっとやさしくなれるのでしょうか。

 日本の遅れているところは外国人に地方参政権がないところです。それで外国人の声が届きにくいし、外国人のためにこうしたらいいという提案をしてもそれを通すことが難しい。神奈川県の場合、「外国籍県民かながわ会議」を開いていて、そこに参加した外国籍の方の声から医療通訳制度なども実現できました。そういった仕組みを日本全体に広げていかないといけないと思います。あとは、多文化共生社会がどれだけ有益かを見える形で訴えていくことが重要であり、彼らが活躍し始めれば自然と見えやすくなるはずなのですが、その活躍の場がまだ十分与えられていないというところで、悪循環な状況に陥ってしまっているというのが今だと思います。


助けるつもりが、実は助けられている側面は多い

――多文化共生に興味があるけど、何から始めたらいいか分からない人もいます。

 まず外国の方と友達になってみることです。言葉の壁があって、親しくなれないと思っているかもしれないけど、今はいろんな通訳デバイスもあるし、その気になれば、挨拶も知らないような国の人でも、時間をかければ同じ人間同士悩みを相談したり、共感し合ったりできます。そうやってふれあいをしている中で助け合う関係性はできていくと思います。
それに、別に助ける必要はなくて、助けてもらえばいいと思います。もちろん助けるという向き合い方もありますが、結局助けられる側面もあって、それが巡り巡って自分のキャリアとかにプラスに影響してくる。私は途上国に助けるつもりで何度か行きましたが、実は助けられていたように思います。現地の人たちのやり方を見て、コミュニティで問題を解決していく手法も教わりました。日本のやり方が常識だと思っていると、国際社会で日本は置いてかれてしまいます。いろいろな国のやり方や考え方を知ることはとても勉強になるし、ぜひそうしていくべきだと思いますね。


インタビューを終えて

「人は平等である」という理念は、当たり前のように捉えられているけれども、人は知識やお金、力を持つほど無意識のうちに「与えてあげる」などと平等とはほど遠い態度を示しがちです。そして、お医者様は地位も名誉も富も知識もあらゆるものを持っていると思われる代表格でしょう。しかし、沢田さんは、タイやフィリピンへの渡航、そして日々診療に訪れる外国人との出会いを通じて「助けることは、同時に助けられている」という関係に気づき、現在のキャリアを築かれてきたとのこと。等身大の一人の人間として今日も患者と向き合い続けている沢田さんの生き方は、国際交流が私たちにもたらす人間的な意義を改めて教えてくれました。

株式会社ソーシャライズ代表取締役社長 中村拓海(なかむらたくみ)
1990年東京都生まれ。一緒に学ぶ留学生が就職活動に失敗し、帰国していく様子を見て大学時代に起業。留学生の就職支援と外国人雇用のコンサルティングを行う。外国人の採用・定着や自治体の外国人受け入れに関するセミナー政府機関向けの調査・提言、大学でのシンポジウムのファシリテータ―、日本起業と留学生のマッチングに関するレポート執筆など、活動の幅は多岐にわたる。お坊さんによく間違えられるが、世界各国のお酒に目がない。
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