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外国人とともにつくる未来――外国人支援のささえ手インタビュー

李 成一さん(ボーダレスハウス)

自分のアイデンティティについて胸を張って話せる社会にしていきたい

 多様な価値観が認められる居場所、そして社会を――。世界中の人が“一つ屋根の下”に暮らすことができる国際交流シェアハウスが増えています。その仕掛け人の一人がボーダレスハウス社長の李成一さん。社会起業家として、そして在日コリアンとして、今の日本社会をどう感じ、どう変えていきたいと考えているのでしょうか。ご自身のアイデンティやキャリアを振り返りながら、その思いを語っていただきました。
(ライター:金子恵妙)


プロフィール

李 成一さん(りせいいち)(ボーダレスハウス社長)

1981年大阪府生まれ。韓国人の祖父を持つ在日コリアン。朝鮮学校を経て、近畿大学に進学。卒業後、機械加工製品の専門商社で7年勤務した後、2011年にボーダレス・ジャパンに参画。ボーダレスハウス事業統括を経て、ボーダレスハウス韓国を立ち上げ、「韓国でビジネスをする」という目標を実現する。韓国ソウルでの事業を軌道に乗せた後、日本に帰国し、ボーダレスハウスの社長に就任する。現在、日本・韓国・台湾の3か国で計76棟の国際交流シェアハウスを運営。地域との交流やトークイベント等の開催を通し、マジョリティ側に多文化を理解してもらう活動も行っている。

大学で知った、自分のアイデンティティを胸張って言えない人たちの存在

――ボーダレスハウスに関わるまでの経緯を教えていただけますか。

 祖父母が韓国の済州島出身で、僕はいわゆる在日3世として育ち、小中高は大阪の朝鮮学校に通いました。そこから近畿大学に進学し、大学卒業後は東京にある機械系商社に7年勤務しました。その商社で同期だったのが、田口一成で、彼が立ち上げたボーダレス・ジャパンというソーシャルビジネスのベンチャー企業に後で加わる形で、ボーダレスハウスの運営を行うようになりました。

――朝鮮学校から日本の大学に入られたのですね。

 朝鮮学校では、朝鮮語で朝鮮半島の歴史や各教科の授業が行われ、それとは別に「日本語」という授業があります。当時はまだ日本社会から孤立したような環境で、日本人の友人は一人もいませんでした。卒業後は東京都小平市にある朝鮮大学校に進む人が多かったですが、私の親には、日本の大学に進学してちゃんと就職してほしいという気持ちがあったし、自分も日本のコミュニティに触れたいという思いがあって、そうしました。

――大学に入ってみて、どうでしたか。

 日本の大学に入って、自分のルーツを話すのは怖かったのですが、私の周りの人たちは、それを普通に受け入れてくれたし、むしろ面白がってくれたりして、これはこれで自分のキャラが立つなと思うことができました。「実は私も」とカミングアウトする友人もいましたが、学校でいじめを受けたり、自分のルーツを隠したまま葛藤していたりして、自分のアイデンティティとか国籍をちゃんと胸張って言えない人がいることを知り、彼らをそうさせているこの社会を変えていける人間になりたいと思うようになりました。

――せっかく入った商社からベンチャー企業に移ることに不安とか怖さとかはなかったですか?

 商社に入ったのは、一度は東京の会社でバリバリ働いてみたかったのと、自分のルーツがある韓国で駐在員として仕事がしたいという思いがあったからです。そのままそこで働く道もありましたが、ボーダレス・ジャパンの人と人が価値を共有するというビジョンや、韓国でのシェアハウス事業の可能性を知り、「じゃ、俺も入る」ということになりました。「いつか韓国で働いてみたい」と僕が話していたことを覚えてくれていたところからの流れですから、嬉しかったし、不安とかはなかったですね。


外国人に家を貸したくないというマジョリティ側のマインドを変えたい

――シェアハウス事業について改めて教えていただけますか。

 この事業は、オーナーさんから許可が下りず、外国人の方が家を借りられないという問題や、せっかく日本語を勉強しに来てもローカルな人と関わる機会がないという問題の解決を目的に始まったもので、今はボーダレス・ジャパンから独立したグループ企業として稼働しています。最近は、外国人歓迎の賃貸物件も出てきていて、私たちの視点も、家を借りられない問題そのものから、外国人に家を貸したくないというマジョリティ側のマインドにどう働きかけていくかというところにシフトしてきています。

――やりがいとか達成感を感じるのはどんな時ですか。

 メンバーがやりがいを感じるのは、入居者さん同士の交流で、その人の価値観が変わったとか、家族みたいな繋がりが国を超えて芽生えている時とか、入居する時には「大丈夫かな」と心配していた人が、すごくアクティブに他の入居者と会話できるようになったりして、人が変わる瞬間を見た時ですね。僕の仕事は、そうした変化が起こる場や機会をつくることであり、そのための発信をして、人を巻き込んでいくことです。もともとはビジネス屋ですから、新しいシェアハウスができて、そういうコミュニティが広がっていく時にもやりがいを感じます。

――諦めたくなったりとか、逃げ出したくなったりすることは?

 コロナの問題で事業が苦しくて投げ出したい時はめちゃくちゃありましたけど、マジョリティ側の認識がなかなか変わらないからとか、そういう理由で逃げ出したいと思ったことはないです。僕が朝鮮学校に行っていた頃は、登下校中の女子生徒の制服であるチマチョゴリが引き裂かれたり、「朝鮮帰れ」と石が投げられたりする事件もありました。でも今はそこまで酷い話はなくなってきていると思いますし、SNS等でも、例えば外国ルーツの子をいじめるとかはダサいという流れになってきています。僕としてはそういう酷い行為は撲滅できると思っているし、自分たちがやっていることには意味があると思っていて、この社会課題を投げ出そうみたいな話にはならないですね。


子どもが親になるまでには「社会に対する恐れ」がなくなっていてほしい

――多文化共生という観点から見たとき、今の日本をどう見ていますか。

 日本社会が全体としていい方向に向いているとは感じます。ただ、例えば2017年に関西でシェアハウスをつくる時に、そこのコミュニティから猛反発がありました。外国人観光客には慣れていても、自分たちのコミュニティに入ってくるとなると話は別のようで、「うちの子どもに何かあったらどうするのか」と怖がる人もいました。今では、そのシェアハウスの居住者は町内の運動会にも出させてもらって、とても仲良くやっていますが、その時に体験したのは、自分が思い描いてきたものと全く違う世界で、シェアハウスの中だけでなく、社会そのものに目を向けていく必要性を改めて感じました。

――在日コリアンの立場からはどうですか。

 自分の子どもをどう育てたらいいのか、普通に日本の学校に通わせてもいいのか。日ごろから多様性を認め合おうと言っている僕でさえ、不安に感じたり、悩んだりします。だからこそ、自分の子どもが大人になって子を持ち、同じような立場になるまでには、社会に対する恐れのようなものを感じずに、自分や家族の生き方を選択できる社会になってほしいですし、そう変えていきたいと思っています。

――李さんのように新しいことに臆せず挑戦するにはどうしたらいいですか。

 自分が何をやっている時が一番楽しいかってところがわかっていれば頑張れるものだと思います。僕にもコロナ禍で経営が行き詰まり、一回もう全部投げ出してしまおうかという時がありました。その時に取り組んだのが、本当にしたいことは何かを見つけることでした。私が出した答えは「リアルな手触り感がある場所にいたい」です。マネジメントに徹するよりも、お客さんと直に接することができる第一線にいたいし、さらに言えば、そこに満足するだけでなく、その経験を活かして次の場でまた何かを作るというプロセスに喜びを感じるタイプだということです。自分をそうやって理解できるようになると、キャリアへの向き合い方も少し楽になると思います。

――多文化共生に関するオンラインセッションなども企画されていますね。

 「無知の知」というか、僕の場合、在日コリアンというアイデンティティがベースにあるので、自分以外の外国の方が置かれている環境って、実はよく知らなくても、気持ちとしては乗っかることができてしまう。でも実際はそういう勉強をしてきたわけでも、留学経験があるわけでもないし、分かっていない部分は多いと思っています。だから、自分で学びの機会を提供し、自分も参加者と一緒に学んでいる形ですね。社会課題に取り組むからには、私自身の社会観も問われていきますから、多文化共生などの分野で活動されている考え方に、これからもどんどん触れていきたいと思っています。

――これからの若い人たちにアドバイスはありますか。

 先ほども言いましたが、自分が何をやっているのが一番楽しいか、喜びを感じるか、心が震えるかというところは大事にしてほしいと思います。仕事って何か我慢して稼いで生活を成り立たせるものという考え方もありますが、僕は日本についていえば、たとえ失敗したとしてもある程度やり直しができるセーフティな国だと思っています。仕事は自分を表現するひとつの方法でもあり、自分がどういう時に泣けるぐらい喜んだり、悲しんだり、悔しかったりするのかというところに、もっと正直に生きてもいいと思います。

――そのためには頭でぐるぐる考えているだけではダメですね。

 経験することが大事です。うちのシェアハウスに内見に来た人に対しても、営業としてクロージングするというのではなく、新しい世界を前にした人の背中を押すような気持ちで接しています。最初から自分のことをわかっている人ってなかなかいません。多様な人との関係性とかコミュニケーションの中で、自分がどういう人間か次第にわかってくるものだと思います。だからこそ僕らのシェアハウスのキャッチフレーズは「新しい自分に出会える」なわけです。新しいことに挑戦する時に不安を感じるのは、知らないからです。勇気を出して経験を重ねていけば、怖いものはなくなるし、どんどん人生は自由に楽しくなると思いますよ。


インタビューを終えて

 こびりついた偏見を払拭し、新時代を切り開く原動力は、いつだって真っ直ぐで無邪気な人の心である。李さんのお話は、そう思わせてくれます。ピンチのときこそ皆で笑い、恐れず、悩まず、次の一歩を出し続けることで、ボーダレスハウスは入居者や地域住民のマインドを変えてきました。在日という自身のルーツに誇りを持ち、自分の気持ちに嘘をつかない李さんの姿勢が周囲を巻き込むことができたのだと思うし、そのマインドは次世代にも受け継がれていくに違いないと確信しました。波は重なり合うことでさらに大きくなるもの。「なんか面白そう!」そんな軽い気持ちでいいから経験してみよう、という李さんの呼びかけに乗っかって、あなたも一緒に動いてみませんか?

株式会社ソーシャライズ代表取締役社長 中村 拓海(なかむらたくみ)
1990年東京都生まれ。一緒に学ぶ留学生が就職活動に失敗し、帰国していく様子を見て大学時代に起業。留学生の就職支援と外国人雇用のコンサルティングを行う。外国人の採用・定着や自治体の外国人受け入れに関するセミナー政府機関向けの調査・提言、大学でのシンポジウムのファシリテータ―、日本起業と留学生のマッチングに関するレポート執筆など、活動の幅は多岐にわたる。お坊さんによく間違えられるが、世界各国のお酒に目がない。
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