「難民なんて日本にいないのでは」と思う人が大半だっただろう2016年に、難民のための就労支援を始めたのが、NPO法人WELgee代表理事の渡部カンコロンゴ清花さんです。難民を個の人間として捉え直し、パイオニア人材として企業に繋いできた渡部さん。報道番組などでもその熱い思いを発信している渡部さんに、これまでの活動を振り返るとともに、日本社会の難民への目線と、その変化の兆しについて話していただきました。
(ライター:金子恵妙)
渡部 カンコロンゴ 清花(わたなべかんころんごさやか)(NPO法人WELgee代表理事)
難民という切り口で具体的に活動し始めたのは大学院の時です。大学の時にバングラデシュの先住民族の村に入り、国家から迫害される先住民族の人たちのための平和構築プロジェクトに2年間携わりました。でも、国家が守らない人たちの支援には、国連やNGOさえもなかなか入れず、「自分に何ができるだろう」ともがきました。帰国して出会ったのが、私が大学の時にいたような紛争地から、命を繋いで日本に来ていた同世代の難民です。彼らは難民あるいは、難民認定されずに待っている人たちという括りになりますが、そこからくるイメージと、目の前にいる彼らとの間に何かギャップがありました。もちろん彼らは大変な状況にはあるけど、彼らは面白味とか可能性とか胆力とか情熱とかを持っていて、日本の社会がそれを全然見ていないなと。それで「いっちょ、この人たちとやってやるか」と始めたのが、WELgeeでの難民支援の活動でした。
最初から「起業しよう!」とか思ったわけではなく、やっていたらこうなったという感じです。団体を立ち上げて、ちょっとずつ仮説を立てたものをやっていたら、契約を結ぶ時になって、法人格が必要だとか、法人にしたはいいけど、今度は税金とか社会保障について知らなくて、そこで初めて知るという感じでした。最初はお金もなくて、学生メンバー全員がアルバイトしながら活動していて、私も老人ホームで8時間の夜勤をしていました。それで「もっと本チャン(大本の事業)から給料を得られたら、この時間は全部今やりたいことにあてられるのに」と考え、きちんと収入を得る形にしていこうと決めました。
逃げましたよ(笑)。団体をつくって4年目の時、自分が決めつけていたやり方ではもう対処できなくなってきて、そこから逃げてしまいました。メンタルが相当参っていて、久しぶりに会った昔からの友人が「このままじゃまずい」と。それでそのまま家に帰らず飛行機に乗って、当時アメリカにいた夫のところに行きました。私、いつもパスポートをリュックに入れているので、そのリュック1つだけで。無責任な自分が情けなくて飛行機でも泣いていました。
3週間後に日本に戻ったものの状態は変わらず、改めて半年休職する形になりました。それまで、優秀な人材かどうかとか、大卒かどうかで在留資格が違うというのは、おかしいと思っていたのに、自分の根底には、何かの価値を出さないと意味がないという「価値なしモデル」があって……。布団の中で自分の存在意義を問い続ける毎日でした。
やらなきゃならないことが増えて、自分の内側に向かう時間がなくなるし、組織の方向性などで意見が錯綜することもありました。当然ですが、誰も正解を持っていない。結局、いろんな意見があるけど、「誰が決めんの?」というときに、私はキッパリ方向性を決められるわけじゃなかった。現場から少し離れていた際に、メンターがこんな話をしてくれました。社会課題に向き合う組織というのは、数十年に渡って社会が積み残してきた問題に取り組んでいて、その課題そのものが孕む葛藤や対立や正義や恐れが、今その問題に立ち向かうメンバー個人間の対立という形で投影されてしまうことがあるそうです。だからそこにはメタ認知が必要で、復帰後は、メンバー同士でもそういう話をするようになったし、他のメンバーも成育歴とか価値観といった自分の内面を見つめ直すようになりました。前の自分なら自分自身に「そんな面倒臭いこと言っていないで、すぐに解決しろ」と言っていたと思います(苦笑)
チームとしては、問題にぶち当たり、もうお手上げだと思うことでも、しぶとくやっていると何かしら形作られてきたなと感じる時です。問題が複雑で短期的に未来を描けるようになるのは難しくても、長期的に関わり続けるなかで、その人たちの能力とか人生とかが、数年越しでわっと花開く瞬間です。それは短期的な関わりでは得られないものだし、その人の中から生まれたものなので、嬉しいなと思います。
支援しても当事者が頑張れない時はあるので、私たちはそれも含めて、受け入れ続けることを決めています。自分たちの地域が空爆にあって、今は日本でのキャリア構築どころじゃないとか、家族の安否確認に追われる状況もあります。その時はそれでいいし、他のことがストップしてもいいと思っています。私たちは対象者のキャリア面だけの伴走ということではなく人生そのものに長期的に伴走しているからです。例えば2018年に出会ったエチオピアの青年は最初の数年はアルバイトでエチオピア系の人が経営する鋳物工場で働いていました。もちろん頑張った分、給与はもらえるけれど、特定の数人以外とは関わらず、自分の未来も描けなかった時期でした。その後キャリアを見直し、今は完全栄養食の開発などを行っているフードテックの会社で人事に関わる仕事をしています。彼は今生き生きと働いていて、その人柄に動かされる日本人社員も多いそうです。
ホームページからの応募では、その難民の日本語能力ばかりが優先されてしまうので、私たちは企業の役員や人事担当の方と直接話すようにしています。難民の採用に興味があるという話をしてくれた企業さんには、どんな国の出身でどんな経験をしてきたのか、どんな特性やスキルを持っているか、などを書いたリストを送ることにしています。それで興味がある人材がいたなら、その本人に会ってもらい、インターンとかお試し期間とかを経て、それでよければ正式な採用という形です。あとは当事者の志やビジョンを企業側に伝える交流会も開いています。キャリアコーディネーターが説明して、在留資格などの問題がないことや、着の身着のままではないこと、仕事の経歴がわかったとしても、やはり直接会わないとわからない部分はありますから。
ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)とか、SDGsとかの流れから、外国人とか難民に対する風向きは、総論では良くなっていると思います。でも、同僚として働きますかとか、ちゃんと正規の賃金を払っても採用するかでいえば、総論賛成、各論は「ん~」という状況ではないでしょうか。実際、その企業さんでの活躍可能性を相談しているのに、「うちはまだまだだから、外資系がいいのでは」とか「うちより、やはり大手さんがいいのでは」と他の企業を勧められることがよくあります。一方で、メディアなどでWELgeeを知った方の中には、現時点での採用は難しいとしながら、個人的に団体のマンスリー寄付会員になってくれる方もいます。そういう自分ごとになり始めた方たちが「こういう団体があって」とか「この間アフガニスタンの若者と話をしたが」とその企業内の理解を広げてくれることもありますから、サポーター限定のグループでの共有などでそういう方たちとの関わりを続けていくことも重要だと考えています。
特に3月とか4月は、ウクライナ避難民を採用したいという問い合わせが殺到しました。「就労のニーズはもう少し後で出てくると思う」と説明し、他にも仕事を探している他国からの難民がいることも伝えましたが、反応は大きく2つありました。「(それでも)うちはウクライナ避難民を20人ほど雇いたい」という反応と、「難民って(日本に)いるんですか。全然知らなかったです」という反応です。ただ、どちらの反応にしても、私たちの潜在的なパートナーとなることはあると考えていますし、そういう点でもWELgeeのキャリアコーディネーターには、企業側に寄り添っていく姿勢も求められると思っています。
2030年には、今のLGBTQのムーブメントぐらいになっていればいいなというか、そうしなければならないと思っています。いろんな企業がD&Iの文脈から「うちは難民移民の人材活用をこんなふうにしていますよ」と言っていたり、ダイバシティーフォーラムなどで、「自分のところも協賛企業になっているけど、まだ採用していないからこれからだと思っているんですよね」といった感じで、「移民難民の人材としての活躍」が共通言語になっているところまでもっていきたいですね。
「こんないい採用事例があるなら、うちでもできるかも」と思える、いい事例を増やしていくしかないと思っています。難民人材の活躍に関しては、その動きが押し戻されないように今はまだ上り坂にある状態を下からずっと押し続けている状態です。少しでも気を抜くと下がってくる感じですね。2030年ごろには、ある程度手を放してもなんとか前に転がっていく、その段階までもっていきたいと思っています。「難民問題」という捉え方から、「同僚の○○さん」の顔が浮かぶ人の数を、増やしていきたいです。
互いに創業初期から交流があり、WELgeeメンバーのことも、事業運営の大変さも知っている分、渡部さんの言葉に勇気をもらいました。難民・避難民の方々にしろ、渡部さんにしろ、自分一人ではどうにもできない状況に陥ってしまい、”逃げる”ことを選択した。”逃げる”という言葉にどうしても我々はネガティブな印象を持ってしまうが、それは違う。場所を変えればきっと自分は輝ける。そう信じて行動する人間の強さを体現し、気づかせてくれるからこそ、渡部さんやWELgeeの周りには人が集まるのでしょう。日本の社会と会社に彼らの居場所を増やし、頼れる仲間として皆で肩を組む。この対談の読者にも、その一員に加わってほしいと願います。